写真集『LOVE WILL GUIDE YOU』(からぱた/2014)の感想 〜または「オートリコメンデーション&全員レビュー時代における優秀な編集者とは」〜

写真集『LOVE WILL GUIDE YOU』





Twitterで一言しか言わなかったのを、ようやく補完する。

DJは編集業である

 プロフィールを見ればわかる通り、彼は編集者であり、DJである。
 本の編集とDJは似通った作業だ。というか、DJは編集作業そのものだ。自分が良いと思う曲や題材や人を見つけ出し、取り上げて、それらを緩急つけて並べ、枠で囲み強調し、繋げ、ページをめくると次に何が現れるのかを演出して、伝える。


 そして、人をちゃんと盛り上がらせる、そこで「踊らせる」。


彼は優秀な編集者であり、優秀なDJである。クラブでも、誌面でも、写真展やその論議でも、人に「踊り」たいと思わせる力を持っている。

写真集「LOVE WILL GUIDE YOU」の構成=脈絡=セットリスト の個人的解釈

 つまりはこれはからぱたのDJ MIXだし、そう思って見れば皆さん納得なんじゃないかな。


 表紙、これは星空に見紛うラパスの街、黒にオレンジの光、しかも直線的な、そして反復する四角いピクセルでできているような家、光は不規則に瞬いているのにもかかわらずそれすら規則的反復にも見える。心から『からぱた写真集』の表紙にふさわしいSF的テクノ的からぱた感を強烈に現している。
 ANI3氏による作りおろし(!)タイポグラフィーについては素晴らしすぎて涙が出る。そもそもタイポグラフィーを作りおろすホンが、良くないわけがない。


 掴みの見開き、見たことのない光景、色の並び方(これが表紙の街の正体だとは初見では気づかないかもしれない。色付いた街並みと同じ場所なのにその色が失われていることで、表紙では全然違う印象を受ける)。
※なお後半、再び似た写真が現れる、写真展でのタイトルはラパス3、それはさらに見たことのなさ、違和感を強調してあるものだった、山と家々の距離、山の標高、家々の色と形。


 私自身、からぱたの旅を見るまで南米にはうっすらしたイメージしかなかった。アジア、欧米、オセアニア、そういった場所は行ったこともあるし雰囲気がわかる、でも南米?

 アジアと似た土埃、でも色が全然違う。街の形もおかしい。もっと違いはもちろんあるんだろうけど、まずそれが理解できる、それがこの見開き。
 廃汽車も同様、今まで知っている外国ではない「異国」を、形にしたような被写体。


 ここからは対比パート (と私は名付けた)。これはまるでJPOP(か、昭和歌謡)とテクノ(や、ハウス)を交互に早繋ぎでかけているかのよう。
 先進と途上、都会と田舎、寒色と暖色、曲線と直線、静と動、陽と陰。舟と船、市場と市場、それとは別に、地球の果てのシンメトリー。
謎解きもあるけど同じ国じゃないなんて!と思った(ビルの窓の写真2点/別にそういうつもりではないのかもしれない)。

 そしてアンセム的な見開きドーン。ブレイク。大サビ。有無を言わさぬかっこよさ。そしてまた繋いで、ドーン、大サビ。
 それぞれの写真にもちろん言いたいことはあるが、写真集を見た人にはこれで十分伝わるだろう。


 そしてラスト前2枚。
 主題=表紙からの派生・広がりとしての煌めく街の夜景。さらなる派生・広がりである「本物の」銀河……これがウユニの星空だということ……最初のアンセム=見開きであるウユニ、表紙の銀河のようなラパスの街、統合と昇華。


 ラストの写真は、すべてを包括しつつ、これまでのからぱたが(私の知る限りでは)撮ったことのない写真を持ってきたことに感動を禁じ得なかった。
 昔見ていたからぱたの写真には、人がいないのが常だった。だから、この写真集で私が一番驚いたのは、その被写体の人間の多さだった。
 そしてこのラスト。
 情報量と解像度と構造物と光、変わらぬそんなものへの愛を根底にきっちり置きつつ、そこに、カップルをうっすらと配置するその何というかちゃんと人間への愛をも受け入れた感じ。というか、LOVE WILL GUIDE YOU、このタイトルにも正直びっくりした。すごく良いタイトルだなぁ……。

編集者はクリエイタに憧れるのか

 編集者(DJ)は自分で原作品を作るわけではない。本の原作者ではない、扱っているプロダクトの制作会社ではない、作曲者でもないし歌手でもない。
 からぱた本人の、ツイッターでの写真展イベント関連での言葉にも「音楽(を作っている人たち)にコンプレックスがあった」とある。


 編集とクリエイトは本当に、離れているものなのか?そして、編集とはいったい、何なのか?

 

リコメンズ &レビューズ キルズ 編集者 オア ノット

 編集者は、「良い」ものを、ピックアップすることから始める。
 そして、それを人に教え、最終的には教えられた人がそれによって行動するという結果を導く。
 これが私の思う編集者の仕事。


 Amazonの「こんな商品も買っています」に代表されるオートリコメンド。これはまさに、その「編集者の仕事」を自動化しようとしたもの。
 または、価格ドットコムや食べログといった、一般人によるレビュー。これも同様。良いものをピックアップする仕事を編集者の恣意ではなく大衆による数と網羅で替えようというもの。


 実際、その二つの手法によるリコメンドは多くの人に参考にされ、インターネットの台頭により雑誌は力を失った。


 SNOOZERという雑誌がある(廃刊したので、正しくは、あった)。当時高校生だった私は、その雑誌に衝撃を受けた。
 何故か。
 巻頭で編集長が見開き2ページ分、とうとうと演説しているのであった。

「これが雑誌というものか。」

 編集長が自らの意志をもって、自分の思う良いものを勧める。すでに良いとされているものでなく、その次のものを発掘していく。その姿勢こそ、清く正しい編集者の有り様ではないのかと思ったのだった。


 オートリコメンドは「過去」しか参考にしない。レビューは「多数意見」の集積装置。
 そうではないdig、すなわち、シーンのイノベーションは、やはり人間にしか出来ないのである。
 みんなに好かれるものならば確かにランキングで良い。しかしそれでは新しいものには永遠に出会えない。


 からぱた写真集/写真展は、編集者としての彼による「お前が過去に何を買って何を信じてどう生きてきたのかは知らない。俺のことを信じる奴は、俺のリコメンドを信じろ」と言うメッセージが込められていると思っている。

結論

 話が長く結論は遠くなってゆく。


 編集とは、霧のような場所から無象の何かをすくい取り、名前を付け、色を付けて、形を与えて、人に見せてやるということ。
 であれば、彼が写真を無象のデータではなく、「写真集」というプロダクトで形を残し、「写真展」というイベントで歴史として残したことも、必然、その作業だったのだと言える。


 むしろ、「写真を撮る」ということそのものが、流れていく人生から形をとらえ、残すための作業であろう。
 たとえ自分の人生でも、何もしなければ流れていってしまうのだ。
 「良い」と思った瞬間を、自分のフィルタを通し、とらえて、形にする。絵画も、音楽も、もっと言えば全てのやり遂げる仕事はそうなのだろう。


 人が何かをクリエイトすること、それも実は人生における「編集作業」に過ぎないのであった。


 と、そんなことを思いながら写真集『LOVE WILL GUIDE YOU』を閉じるびすきすでしたとさ。完。



念のため知らない方の為に。からぱたさんが写真集を作ったときのブログはこちら。
→旅行で撮りまくってきた写真、売ります。 : 超音速備忘録 http://wivern.exblog.jp/21958177/